豪商・齋藤理助(齋理)とは

江戸時代後期から昭和初期にかけて、呉服・太物の商売、味噌・醤油の醸造、縫製業など
幅広い事業を展開し、七代にわたり栄えた豪商、齋藤理助氏。
歴代の当主が「齋藤理助」を襲名し続けたことから、通称「齋理」と呼ばれ、
最盛期には、現在の価値で数十億円にも及ぶ純財産を有していました。

また、齋理には「社会事業家」としての顔もあり、町の人々のために
製糸工場「武陽館」、電燈会社「清滝電燈」、川に橋をわたす「隈共社」を設立したり、
町内各地の神社の合祀移転、丸森小学校の校舎の新築工事にも携わりました。

丸森の経済発展の歴史とは、切っても切り離せない関係にある齋理。
そんな齋理の本拠地であった屋敷や収蔵品すべてが、1986年に丸森町へ寄贈され、
「蔵の郷土館」として開放したのが、今の齋理屋敷です。

齋理屋敷での古い集合写真

時空の秘密基地「齋理屋敷」へ、いざ出発!

そこに広がるのは、エネルギッシュな大正時代の齋理屋敷ここから変わる日本の“いま

羽織を着て、身も心もタイムスリップ

齋理屋敷を何倍も楽しむコツは、当時の世界観に身を委ねること。羽織を身にまとい、さぁ「あの時代」へ参りましょう。いつもの自分や日常を忘れて、身も心もタイムスリップして過ごす特別なひとときをお楽しみください。

まず私たちを出迎えてくれるのは、立派な造りの 「店蔵」 と 「嫁(よめご)の蔵」

嘉永元年(1848年)に造られた齋理で最も歴史の古い蔵である「店蔵」と、明治36年(1903年)に造られた齋理で最も立派な造りの「嫁(よめご)の蔵」が訪問した皆さまをお迎えします。趣のある立派な外観が、訪れた人々を100年前の時代へ一気に誘います。

表門をくぐると、「石風呂」 がお目見え

明治の終わりごろに建てられた「石風呂」は、別の場所で湯を沸かし運び入れる方法で利用されていました。ただ、夕方に入るためには朝から準備をしなければならず、大変手間のかかるお風呂だったそう。この頃に比べると、今はだいぶ便利になりましたね。

当時の暮らしに想いを馳せ、風情豊かな展示に心躍る

敷地を進むと右手に「居宅」が見えます。ここでは、齋理屋敷に関するエピソードや当時の生活を再現したジオラマが展示されています。また、雛祭りや端午の節句など、華やかな展示も見どころのひとつです。

齋理屋敷当主の、意外な一面を今に伝える

7代目の当主が雷嫌いだったことから、昭和5年に建てられたといわれる避雷針。当主の意外な一面が垣間見えて、少し親近感が湧きますね。この時代、しかも個人宅に設置されている設備としては大変珍しく、令和の “いま” も現役で稼働中です。

齋理の繁栄を支えた、仕事を探る

明治初期に造られた「業の蔵」は、当時は太物やご祝儀用の組膳が収納されていましたが、今では齋理が行っていた仕事や事業を紹介する展示を行っています。齋理の繁栄を支えたのは何か、その答えの手がかりがあります。

落書きから垣間見える、齋理の住生活

当時「番頭さん」と呼ばれる常時20数名の使用人が住み込みで働いていた齋理屋敷。「住の蔵」では、齋理の繁栄を支えた番頭さん達の生活ぶりをジオラマで紹介しています。彼らの部屋には当時の落書きがそのまま残っているので、当時の生活に想いを馳せてみては?

伝統的な遊びに触れて、童心にかえろう

「童の蔵」では、大正から昭和期の伝統的な遊びを再現しています。昔懐かしい模型飛行機や竹とんぼ・ジュークボックスなどの展示や、手作りおもちゃなど、子どもだけでなく大人も楽しめます。

齋理屋敷のシンボル、「時の蔵」

伝統的建造物群を締めくくるのは「時の蔵」。ここでは、齋理のシンボルであるアメリカ製時計が、130年を超えた今も時を刻み、1時間に1度その鐘の音が響き渡ります。また、齋理家の人々の写真などが展示されていて、これまでの歴史を振り返りながら故人を偲びます。

世界との文化交流が織りなす、大正デモクラシーの世界観

大正時代の木造洋館建築にデザインされた「新館」は、これまでの蔵とは全く違う雰囲気です。中国からの伝来品や足踏み式オルガン、絵画など貴重な品々が展示されていて、世界の文化が日本に入り始めた時代を感じることができます。